ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

北山君の話

 私が小学生のころの話です。クラスに北山君という子がいました。黒目が大きくて眼鏡をかけていて、さらっとした髪の男の子でした。私と彼は特別仲が良かったわけではありませんが、多くの小学生男子がそうであるように、昼休みにタイミングが合えば自然と遊ぶような仲でした。

 私は多動もちの粗暴な問題児だったので、聡明な男子や女子には軽く距離を置かれていました。北山君は優しくて賢い子だったので、彼も私と距離を置きそうなものだったのですが、そんなことはなく遊んでくれていたので嬉しかったです。

 北山君は普段は特に目立つ子ではありませんでした。しかし、年に数回目立つときがありました。それは学校行事のときです。

 私の小学校は、年中行事にお祭りがありました。秋の収獲祭です。また運動会やマラソン大会のようなどこの小学校にもある定番の行事もありました。

 北山君はそれら全てに参加しませんでした。理由は宗教です。彼は宗教的な理由で一切の学校行事への参加が出来ませんでした。

 

 お祭りでは児童が出し物をします。そのときの出し物はダンスでした。お祭りの日が近づくにつれて、体育の時間はダンスの練習に充てられていきます。私も北山君も、授業の一環として練習に参加していました。そして彼は練習中にぽつりと言いました。

 

 「どうせ俺は出れないけどね」

 

 私はデリカシーのないバカだったので、なぜ出れないのかと聞きました。北山君は「よくわからないけど。親がシュウキョウで駄目だっていうんだ」と言いました。シュウキョウ。その言葉は小学生の私には、得体のしれない驚異的な存在のように感じました。日曜の朝のテレビでやっている悪の組織なんかより、よっぽど得体がしれませんでした。そういう私の家も、実はとある宗教の信徒だったんですけれど、親が努めてそういう空気を出さないようにしていたので気づきませんでした。私がアホだったのもありますけど。親としては宗教を自分の判断で選んで欲しかったみたいです。その点はとても感謝しています。なので私は、日本の多くの子供がそうであるようにシュウキョウというのを正しく認識できませんでした。折しもオウム真理教が取りざたされていたことも、シュウキョウに対する間違った認識を強めた一因でした。 

 また親という言葉も強すぎました。親に逆らうという考えがまだないぐらいの年ごろです。感情的に逆らうことはあっても、基本姿勢で親に反抗するというまでには至らない年齢です。親は頂点でした。

 北山君がお祭りに出れないのは「どうしようもないことだ」と強く思いました。それでも北山君は体育の時間に一生懸命、練習をしていました。私は木陰に入って適当にサボっていました。

 

 やがてお祭りの当日になりました。その日は、絶好のイベント日和でした。秋晴れという言葉は、この日のためにあるのだと思わせるような快晴でした。北山君はちゃんと登校していました。洗い立ての真っ白な体操着に身を包み、皆と同じように席に着いていました。

 お祭りが始まります。ラッパのようなスピーカーから、割れかかった音が流れ出します。入場音楽です。テレビでよく流れている有名なアイドルの曲でした。私たちは入場の行進をするために、席を立って移動を始めました。北山君は一人、席に座ったままでした。私は、ポツンと一人残された彼がとても気になりました。行進をしながらも私は、彼をチラチラと見ました。彼はぼんやりした顔で校庭を眺めていました。

 私はお祭りの最中、自分の出番がないときに何度も彼に話しかけました。理由は分からないけれど、そうしなければと思ったのです。私と彼は身長が高かったので、幸いにも席が隣同士でした。私たちは、お祭りをそっちのけでペラペラと喋っていました。やがて私たちの演技の出番が来ました。私は立ち上がりました。彼は「頑張れ」と言ってくれました。私は「うん」と答えました。

私は演技をしました。練習に不真面目だったので、フリをだいぶ間違えました。けれど、演技が終わると、保護者達はしっかりと拍手を送ってくれました。私は不真面目だったのに、ちゃっかりと賞賛される喜びだけを受け取りました。北山君は演技をできませんでした。北山君はただ座っていました。北山君は拍手をされませんでした。けれど、私は知っていました。真面目な彼がとても上手に演技を出来ることを、私は知っていました。

 下手くそな私が演技をして、北山君が演技できないのはおかしいと思いました。演技をさせないシュウキョウやオヤは変です。それに演技をさせないのに席に座らせて一人ぼっちにさせる学校も変です。周りは変なことばかりでした。そう思ったけれど、それは仕方のないことだと考えました。親も学校も絶対でした。

 

 小さいころ、世の中は仕方のないことばかりでした。仕方のないことばかりの世界で、私たちは生きていました。