ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

ハゲたくないです

 今日はハゲについて書こうと思います。私はハゲるのがすごく怖い。あまりに怖すぎて今日ネットでハゲになりやすいかどうかを調べる遺伝子検査キットを買いました。

 AGAっていうハゲの種類があって、けっこう宣伝が凄いのでみんな知ってると思うのですが、説明しますと、名前を忘れたけどなんとかって悪玉の男性ホルモンが作用してて、それが出やすい遺伝子を持ってるかを検査できるのです。出やすいとハゲやすいのです。

 それでプロペシアっていう、ハゲホルモンを抑制する薬があって、それがめっちゃ利くんですけど、あくまで抜けるのを抑えられるから結果的に生えてくるケースがあるだけで、生やす薬じゃないのでハゲるまえに先手をうったほうが効果があるのです。ただプロペシアもハゲホルモンを抑制することしか出来ないので、もともとハゲホルモンが少ない人には効果がないんです。ハゲホルモンが少ない人のハゲは生活習慣・ストレス・老化、もしくは別の病気の可能性があるのでAGAとは改善の仕方が別なのです。だから最初に検査しておけば、今後どうすればいいかの方針が決まるってわけです。

  調べました。調べものして情報をまとめるって、仕事以外ではめったにしないけど頑張った。ハゲが怖すぎて頑張った。恐怖から逃れるには知識が一番です。知らないから怖いと思うし、知れば枯れ尾花の幽霊なので怖くない。

 

 さっきからハゲるのが怖いってたっぷり書いてますけど、でも実はそんなにハゲが怖いわけでもないです。矛盾してるんですけど、私の本音というか根っこの部分はハゲでもどうでもいいじゃんって思ってます。たとえハゲたとしても、それはそれで面白いじゃん。ハゲは個性だ。ハゲたらブルース・ウィリスを目指せばいい。頭の形がよくないからブルースみたいに、かっこいいスキンヘッドにはならなそうだけど。別にハゲててもマイナスなんかじゃない。

 ハゲているのが醜いってのは周りの人やネットがそういうから「そうなんだなー」って思うようになっただけで本当のところは、ハゲがなんで醜いのかよくわかってない。老いの象徴だから?

   でも老いることって醜いことなのかな。私は老いてる人で美しい人をいっぱい知ってる。それは年齢より若く見えるって美しさじゃなくて、老いてるからこその美しさだ。

 私の根っこの部分は他人が言う美醜ってあんまりよくわかってなくて、ハゲだデブだってみんな言うけど、それがマイナスだってどこかしら信じきれない部分があります。イケメンも美人も一応分かるし好きですけれど、それらとそうじゃないことの差が他人が言うほど大きいものには思えないのです。心が弱ってるときは、そういう他人の意見を強く信じてしまうけど、落ち着いているときはだいたい疑問に思って生きてます。

 

   私は小さいころから人体に興味があって、他人をジロジロみて親に怒られる子供だったんですけれど、そういう人体すべてを興味深いと考える部分が、大人になっても残ってしまいました。なので美醜を判断しようとしたときに、その部分が引っかかって上手く考えらないのでしょう。

 男性同士でよく女性の容姿についてジャッジしてる会話をしていても、そういうのには混ざれなかったりします。いや混ざれんでもいいけどさ。うーむ、なんかカマトトぶってる感じがして嫌だな。でも実際そうなんです。あと、どのアイドルやタレントが好きかみたいな会話にも。それはたんに知らないだけなんですけれど。私は社会的に美しいとされる人の情報を追っかけるという意欲が少ないです。

 今の職場はゲーム会社なのでそう言う会話する人が少ないのでいいです。ただアニメやゲームのキャラで同じことをしてます。でもアニメやゲームの場合はキャラクターのデザインが均質なので、見た目の美醜より作中の扱いや設定が重要だったりするので、それはその作品を知っていれば理解出来る話なのでついていけます。

 

 あと人の容姿を褒めようとして色々考えるんですけど、本当のところはよくわかってないので、適当なことや雑なことを言ってしまいます。適当に褒めるのは褒めないよりいいのか、どうなのだろうか。よく分かってないのに褒めやがってと思う人もいるから難しい。

 分からないなら褒めなくてもいいとも思うけど、褒めるのって人付き合いで大切なことだし、私と付き合ってくれる人はなるべく楽しませたい。

 それに全く分かってないわけじゃなくて、上手く言えないんですけど、美醜の線引きをする感覚が弱いだけで、どんな人の容姿でも根底には好意的な気持ちがあって言ってるので嘘ってわけじゃないです。

 

 美醜に固執しないのは我ながらいいところかなと思うのですが、でも嫌だと思ってる部分もあって、それは美醜を気にしないのは私の社会性の低さからきているからです。

 美醜に理解を示すには、社会性を獲得していないといけません。なぜなら社会的に評価される要素が美しいとされるので、美しいを信じたり追い求めたりするのは、社会の有り様が的確に見えていて、そこになじもうとする意志や能力を持っているからです。

 量産型女子大生って言葉がありますけれど、量産型になれるってすごい社会性の高さです。正直、うらやましい。私も四人組で似たような格好をして街にくりだし、アメリカからやってきたパンケーキ屋で旬のイケメン俳優について語り合ったりしたかった。

 

 例えば、昔の日本は太った人がモテたらしいですけれど、それは昔の日本が食べるものに困窮する社会だったからです。だから昔の人は「ふくよか=裕福」のイメージを導き出したのでしょう。今は低価格でも高カロリーなものが手に入ります。むしろ、健康的な体型になるためにお金をかけるのです。だから「健康的な体型=裕福」というイメージになっています。そして裕福であるのは、社会的に価値のあるものを多くもっているということです。だから裕福に直結する見た目が、社会では美しいとされます。社会とは無関係に成立する美しさもあると私は思ってますが、今はそのことについては書きません。

 美醜を気にしすぎる人は、特に社会性が高いんだと思います。キラキラ女子が美への追求と社交性の高さをアピールするのは、その二つが同じことだからです。

 

 昔の私は社会性の低さに輪をかけて自己愛も強かったので、ハゲに対しても「ハゲたぐらいじゃ俺の価値は変わらない。むしろハゲ如きで判断する社会が低俗だ。太陽拳で燃したい」ぐらいの姿勢でした。太陽券では燃えないけど。

 実際にはハゲについて考えたことすらありませんでした。そもそも自分の見た目について、否定されることをあまり考えていませんでした。男性だからと運が良かったからだと思います。他人から容姿でゴチャゴチャ言われなかったので鑑みる機会がありませんでした。言われてた気もするけれど的確には覚えていません。よい方のは思い出せるので、頭が都合よく編集してるのかもしれません。 

 今でもちょっとだけ「容姿で価値なんて変わらない」って思ってるんですが、でも現実的に考えて、社会からみたら私なんてたいした価値がないので、せめてハゲないようにしたいです。

 私はこのようにハゲを気にし出した私が愛おしい。社会性を得ようとしているから。私は社会に参画したい。社会と仲良くしたいです。フサフサの頭で。

 もちろん社会に引っ張られ過ぎて自己肯定感がおかしくなったり、他人の容姿を苛烈にジャッジしだすほどの価値観をインストールはしたくないですけれど。

 

    いっそ一切の社会性を捨て隠遁すればいいと思いますが、私にはそれは出来ません。社会側から手を広げてくれるほどの資産や才能があるわけでもありません。だからといって自分の社会性のなさを開き直って、他者に怒りをぶつけたりマイナスを負わせたりもしたくない。自分のハゲを棚に上げて、他人の容姿にとやかく言う人間になりたくない。だからハゲない努力をしたい。

 念のために捕捉しますが、実際にハゲている人がそういう人って言いたいわけじゃないです。ハゲかどうかと人間的にどうかは無関係です。むしろハゲてても社会的に役に立ってるなら素晴らしい人です。役立ってなくても素晴らしいけど。だからハゲを気にする暇で、他のことをして自分を磨いてもいいと思ってます。むしろそっちの方が私に向いてるでしょう。だからそっちを選択して、ハゲてもいい。対策したってハゲるときはハゲるんだから、私は堂々とハゲるつもりです。日本のブルース・ウィリスになってやります。ただ私は人の目を気にしてハゲを憂えるようになった自分が嬉しいし、その想いを叶えたいのです。

 

 ハゲという結果が怖いからハゲ対策をするのではなく、社会と仲良くしようと考えている自分を肯定するために、ハゲ対策をするのです。

 

 ようはバランスなのでしょう。ルッキズムは間違っていますが、かといって自分の容姿をよくする努力が間違っているわけではない。容姿を良くしようとするのは社会へ目を向けて自分の価値観を社会とすり合わせていくことです。

 社会は私には理解できない雰囲気を纏っていて、ときに私を戸惑わせ痛めつけます。しかし完全に悪意の存在ではないです。

 ただ社会を構築する一人一人が少しずつ心を割いて作り出した巨人なだけです。私はその巨人の一部になりたい。苦しいかもしれないけれど、巨人は私に恵みも与える。

 でも巨人が無自覚に誰かを踏みつけようとしたら、私は巨人の体から飛び出して、踏みつぶされそうになっている人に寄り添いたいです。そして、可能ならば助けたいです。なぜならその人は、私と同じだからです。