ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

痴漢についての対談を聞いて ”田房永子×小川たまか×前濱瞳「電車内の性犯罪をなくしたい! 被害をなくすためにできることは?」” 編集

bookandbeer.com

これに行ってきたので思ったことをかきます。

 

 この文章は性犯罪についての言及があります。過激で具体的な内容は努めて控えましたが、上手くいってないかもしれないので注意してください。

 

 

 痴漢問題について考えたいと思ったので、そのとっかかりとしてイベントに参加してきました。痴漢について、オフラインではなかなか話題に出来ないものです。話題に出来ないってのもなんだかおかしい話だと思うのですが、現状はそうなので仕方がない。

 それに私は男性ですから、女性にそのような話題を振るってことは性的な領域に踏み入ることになるので、たとえ内面に性的な意図がないにしたって安易に出来ることではないです。またトラウマにズケズケと入り込みたくないです。

 そして男性同士だと痴漢の話題は本当に出ません。されたとか、したとか関わらずに殆どありません。たぶん、アゼルバイジャン共和国についてのほうがまだ話題になる可能性があります。ホモソーシャルだと痴漢をするのも、されるのも落伍者で恥だと考えられますので、痴漢の話題は完全に蓋をされています。そして、その蓋をあけることは男性社会から外れるリスクを伴うので、誰も話題にしたがりません。

 男性側にとって、そのぐらい痴漢問題は透明化されています。生の意見も聴きにくいです。だから痴漢に関わる人々の意見を取材して、まとめた話が2000円で聞けるなんて、ちょっとすごくないですか。しかもドリンク付き。とてもありがたいです。そんなありがたいイベントに遅刻したバカが私です。

 

 参加したのは男性としての義憤とか、人権侵害への怒りというより、普段から使っている電車で当たり前に起きてる犯罪行為に、無頓着であることが不自然に思えたからです。

 考えてみれば、通勤電車は固定された生活エリアです。それは職場・学校でのデスクや自室のように、安易に変えられるものではありません。通勤電車は職場や自宅同様に、日常を過ごす場所と言えます。自宅や職場で犯罪が行われていたらどう思うでしょうか。気にならないほうがおかしいです。日常に犯罪行為っていう異常が紛れ込むのです。それって災害に見舞われるのと大差なくて、そこには尋常じゃないストレスがあります。だから、日常が崩れないように、異常があれば過敏に反応するのが自然な状態です。ならば痴漢も同様に考えられるはずです。でもそうではない。なぜそうなってしまったのか、なにがそうさせたのかを知りたくて参加しました。

 

 当日は午前中にデザインフェスタに行っていました。ブログ書きます。二日あるので明日の分もまとめてたあとに投稿します。写真ブログをやってみようと思う。

 それで私は頭がポンコツなので15時開始を17時開始と勘違いしてました。開始時間の直前まで、ワークショップでバラのチャームをのんきに作っていました。ハッと思い出して電車に飛び乗り、着いたのが40分遅れの時間でした、ヘロヘロの状態でした。デザフェスで写真を撮りたくてカメラを持ち、対談でメモを取りたかったのでマックを持ち、私は登山家のような荷物を担いでいました。

 

 会場内はほとんど女性でした。女男比は5:1ぐらい。予想してたけどそういうものですね。そういう私だって、今までまともに痴漢について考えたことなかったのだから、この光景に対してなにかしら断罪めいたことは言えません。ただ事実として書いておきます。入場したときにはちょうど痴漢抑止バッチについての話題でした。

 具体的な対談の内容は前回の記事のメモに譲ります。

 

roadsidefuse.hatenablog.com

 

 対談は題材が明るいものではないにもかかわらず、田房さんのユーモアに富んだ軽快なトークのおかげか、とても和やかに、ときに笑いが起こりつつ進みました。といっても批判する部分はしっかりと苛烈に批判していて、そういう声はなかなか聞けなかったので勉強になりました。他の対談者の方も、話しにくいような個人的な体験を語ってくださり、私は本当に痴漢について何も知らなかったんだなと痛感しました。

 総括として思ったのは、痴漢は個々人の意識が変われば簡単になくなるのに、さまざまな要因によって成されないということです。そしてその要因を大切に守っている社会のせいです。痴漢がなくならないのは男性によるところが大きいと思いますが、それは男性だけの問題じゃなくて、男性が痴漢について考えないで済む社会構造自体の問題です。私もその構造の中にいたので、ずっと考えずにいました。痴漢も含めてすべての犯罪は社会の不備ですが殺人や暴行などではなく、痴漢すらなくならないのは不備が大きすぎると思います。

 対談でも言われていましたが、教育を変えていけばいいと思います。しかし、教育する側がすでに痴漢を前提で育っているから難しいという事実もあります。

 対談を聞いて、女性専用車両はやはり必要だと思いなおしました。女性専用車両がない社会が理想だけれど、現状はまだまだ応急措置が必要です。それに痴漢被害者がトラウマを抱えている場合にも避難場所として使えます。

 今は忙しい時間だけの施行だけれど、ずっとあってもいいんじゃないか。混んでいるのに男性だけ辛いといいますが、その批判は、そもそも乗車率が異常なのに車両を増設しないで運航している鉄道会社にするものでしょう。もっと言えば、満員電車でストレス貯めながら出勤しなきゃいけない労働環境がおかしいと思います。

 その理不尽を、ただ言いやすい立場の女性にぶつけているだけではないですか。

 

 逆に女性は言いにくい立場です。だから、声が顕在化されなかったり、顕在化されても変に取られてしまうのです。その結果、痴漢がなくならない。殺人や強盗は男女平等に甚大な被害を受けます。だから社会の中で大きく取りざたされますし、相互監視の力が働きます。しかし、痴漢はそうではありません。男性の被害者もしっかりいますが、その場合男性は痴漢をされるような女性的(敢えてこの言葉を使います)な男性という立場で見られるのです。対談で男性の痴漢被害を笑い話にするとおっしゃっていましたが、笑い話にしないと男性同士の付き合いでは弾かれるからです。痴漢される時点で立場が弱く思われ、さらにその痴漢を笑い飛ばせないような男は、より弱いとみなされるのです。

 

 会場の女性が「パートナーを誘っても俺は関係ないと言って断られた」といっていました。また痴漢の話になると喧嘩になってしまうとも。だから理性的に話すのけれど、それでも通じずに絶望してしまっているそうです。

 私はそれを聞いて、悲しい気分になりました。その女性の境遇が悲劇的だからではありません。その境遇が「普通」だからです。パートナーの男性がとくにクズなわけではなく、当たり前にいる普通の男性なのです。男女が普通に恋愛をしただけで、そのような断絶がそこらじゅうにあって、意味もなく傷つけあってしまいます。私は、めまいのするような深い溝の前で、ただ茫然と悲しみました。これは埋まるのだろうか。

 

 対談で男性には痴漢問題を解決するメリットは、あまりないと言っていましたが、私はメリットがあると思います。なぜなら痴漢問題に取り組むことは、このような溝を埋めることだからです。普通の男女が、無駄に傷つけあわないために必要なのです。

 戦うべきは異性ではなく、その溝を掘ったシステムです。