ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

ネコかわいい

 私の家の近くは野良ネコが多い。通勤するときにだいたい3匹ぐらいとは遭遇する。今日は4匹遭遇した。ほぼ毎日みるので顔を覚えてしまうネコもいるぐらいだ。そのたびに心が癒される。
 ネコのかわいさは心を溶かすようなかわいさだ。どんなにトゲ立った心でも緩く丸くしてしまう。しかし、ネコも分かったもので、心がトゲついているときにはなかなか出てきてくれない。ネコで癒されようなどという奢った考えを持っているときはネコ達も警戒するのだ。また酔っていたり、変に興奮しているときも近寄ってはくれない。ネコたちは人間をよく観察している。
 野良の若いネコが私の足に上ってきたとき、私は東映のオープニングの海が凪いでいるかのような奇跡的な穏やかさでネコと対峙していた。
 好奇心旺盛な若いネコは一見、人間に全幅の信頼を向けて無邪気にじゃれてくるように思われるが、その実は悪意があったり攻撃的であったり消費しようとする姿勢を見せると、途端に察知して去ってしまう。あくまでネコが人間を審査して消費する立場なのだ。
 コンビニからホットスナックを持って出てくると、近づいて足にまとわりつき、文字通りのネコなで声で食事を奢らせようとするネコがいる。しかし、そのネコは自分のかわいさの人間社会的な価値を学習して戦略的にその行動をとっているわけではない。それは自然な行動だ。親ネコに食事をねだるのと同じように、人間にもねだっている。
 ネコたちは自然な状態で、人間に取り入ることができる。ネコは他者を観察して適応する能力に長けていて、それを利用して人間を突き放したり惹きつけたりして、上手く操って魅了してしまう。
 その点で、ネコは人間やほかの動物とは1レイヤー違う可愛さを持っているように思える。犬もまあ、同じぐらいかわいい。以後、ネコと書くが犬でもほぼ同じことが言えるはずなので犬派の人は脳内変換してください。
 
 ネコの可愛さは人間に最適化されている。それは人間が創作したどんなものより、優れた可愛さだ。キティちゃんより、ふなっしーより、初音ミクより、ネコは愛されている。
 ならネコのかわいさは、人智を超えた奇跡で生まれたのだろうか。それは違う。人の力が加わって今の猫のかわいさが実現した。人間とネコの歴史が、今日のネコのかわいさを生んだのだろう。
 
 ネコと人間の付き合いは紀元前からあって、調べるのが面倒なので間違っているかもしれないと予防線を張って書くのだけれど、古代エジプトではすでにネコを神格化したり、家畜化して死を嘆いてミイラにしていたのだから、乱暴なことをいって人間の文明とネコは一緒に進化してきたと言える。
 その進化の過程で、人間は「かわいいネコ」を選択していったのだろう。

 人間から見て美しいネコ。人間にコビを売るネコ。丈夫なネコ。エサ代のあまりかからないネコ。

 そういうネコは人間の庇護を受けて、ぬくぬくと育って繁殖していく。たいして、そうでないネコは野良で生きていくのだけれど、人間が野良では生きていけないように環境にテコ入れをしていく過程で徐々に消えていき、結果として人間にとって都合のいいネコが残った。それは「ネコを滅ぼしてやろう」という悪意のある行為ではなく、ただ純粋に好きなネコを選んで育てた結果でそうなってしまっただけだ。ネコを育て慈しみ共存しようとした結果、共存できないネコは淘汰されてしまった。悪意ではなく、好意の集積が長い年月をかけて、取り返しのつかない損失を生んだ。
 好意が元でも結果が「選択」であれば、それは暴力的な側面を持つ。選択されないほうは徐々に徐々に、その暴力に蝕まれる。好意を向ける側は、好意という免罪符の元にその暴力を鑑みない。そして選ばれなかった側は、取り返しのつかないほどに打ちのめされる。打ちのめされた側も好意の結果だから、なぜ打ちのめされたのかよくわからない。自然と当然に「どうしようもないこと」になってしまう。

 そして、これはネコだけの話ではない。犬もほかの動物も人間同士でも大差ない。 

 私は日々なにかを選択し、何かを切り捨てて生きている。そのたびに容赦のない悪を積んでいるのだろう。私はわがままだ。
 ネコは、私のような人間のわがままに柔軟でいられるほど、しなやかな魂を持っていて、それを用いることで、人間社会では無力でありながらも実質的に生を勝ち取っている。
 でも私はネコではない。ネコのような素晴らしい魂を持たない。そのかわり、人間社会に関わる力を持っている。私は人の言葉を話すし、カタチも大体人間だし、建前上は人権も持ってる。だから私はヒトとして人間社会に関わっていかないといけない。面倒くさいけれど、そう生まれてしまったからにはやるしかない。
 それでダメだったら山奥にこもって山月記のようにネコになればいいのだにゃん。それで百万回死んでもう死なないってまで生きます。

 ネコはかわいいのだけれど、かわいくないネコがもしいるならば、それはとても素敵なことだと思う。そして、そういうネコが生きていく環境を作るために日々生きるのだと思えば、死ぬまでの期間がちょっと楽しくなる。