ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

マウスポインタが見つからないのです。

 今現在、画面からマウスポインタが消えています。画面上でハイライトされるボタンなんかを頼りに操作しています。面倒なのですが起動し直すほどの気力はないです。

 今日は、きのうが奇跡的に楽し過ぎて、体力と精神力を使い果たしたのでほとんど寝ていました。寝過ぎたせいで自律神経がおかしくなったみたいで、起きてからずっと気分が沈んできました。
 気分が沈んでいるだけならいいのですが、精神に余裕が無くなったので理性的でない行動をとってしまいました。詳しくは書きません。心の状態と行動を乖離させて生きていきたい。それが出来れば誰にも迷惑をかけません。
 でも、それは無理です。無理なのを知っています。前のエントリでマシーンになりたいと書きましたが、私はマシーンになんて到底なれないのです。それはアンドロイドが見た羊の夢です。

 ポインタが見えないのです。私がどこを見て何に触れているのか分からないのです。

 私はとても幸せな状況にあります。仕事があります。好きな仕事です。給料は業界の平均値から見ればかなり安いのですが、それでも気分が沈んだ時に水タバコを吸いにいく程度の余裕があります。あ、今日はコニャックとザクロのミックスでした。思ったよりスパイシーでしたが、キツくはなくスッと受け入れられる感じの味です。中盤以降からテロテロした甘さが出てきてよかったです。閑話。

 私は逃れられない暴力に晒されていません。私は正月に一応帰っとこうかな、と思える家があります。
 今日、親族でいった旅行の写真を、アップロードすると紙のアルバムにして出荷してくれるサービスを利用しました。
 ITがそれなりに出来て、一眼レフを持っている私にお鉢が回ってきたわけなのですが、めんどくさいと思いつつ、それは贅沢な面倒臭さだと知っています。私は恵まれています。素敵な笑顔を見せる祖母の写真の前で、捕らえ所のない罪悪感を持ちながら写真を編集していました。私は貴女のように笑えません。
 
 祖母にも苦労はありました。私は祖母の身の上を聞いて、それを乗り越え笑顔になれるなんて、とても強い人なのだと思いました。
 私はそれよりもずいぶん恵まれているし、幸せです。そのせいで弱く醜い人間になりました。だから、幸せをすぐに見失います。むしろ、幸せであろうがなかろうが私は色々なものを見失ってしまうのです。幸せは私を照射してくれないのです。私の快楽と幸せの関係は全射ではないのです。快楽と幸せの間には、常に欠落される要素があります。

 私は、腕の筋肉を醜く歪ませて、ありもしない太陽に手を伸ばすイカロスなのです。ほんとうに醜い姿をしています。

 心臓の鼓動のようなトントンとながく続く価値に目を背けて、刹那にハイライトされるなにかにすがって生きています。

 フラッシュに群がる単細胞生物のように、反射的に飛びついているだけの人生です。そうして、そのまま死ぬまで生きていくのかもしれません。

 ただ私は祖母のように笑いたいのです。
 でも、なんでかどうしてか、それができないのです。