ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

ラーメン食べた

 私は食べ物への執着が薄いです。私は偏食ではないのですが、毎日同じメニューを食べたりします。理由は考えるのが面倒だからです。私はゆるい糖質制限をしているので食べるメニューの幅も少ないので、よけいに考えなくなったのだと思います。適当に買ってきたものや家で大量に作ったものを弁当に詰めて、ささっと一人で食べています。

 でも、今日は同僚とラーメンを食べました。誰かと何かを食べに行くことは大事だと知ったからです。それでラーメン屋に行くことになりました。男性同士で食事に迷うとたいていラーメン屋になります。なぜだろう。私は正直、炭水化物を摂りたくないのと、胃が弱ってたので避けたかったのですが、周囲のお店を知らないので対案もでないから状況に任せました。人付き合いは譲り合いです。

 

 ラーメンは最初の一口は美味しかったけれど、味が濃いので、だんだんつらくなってきました。ラーメンを久しく食べていなかったので忘れていたけれど、こんなに味がきついものだったっけと思いながら食べていました。でも私は残すのが嫌いなので、ひたすら食べました。味が濃い。なぜこんなに濃いのか。

 普段はタレのかかってない納豆や塩の振ってないゆで卵を食べているので、舌が味の薄い状態に慣れてしまっているのでしょう。

 

 周りを見ると同僚がズルズルと麺を飲み込んでいます。私も場の空気を壊さないように努めて同じ速度で黙々と食べました。「味が濃い。味が濃い。でもみんなは平然と食べてるんだよな、凄いな」なんて思いながら食べました。でも同僚が凄いのではなく、平然と食べるのが普通で、私が薄味に慣れすぎただけなのです。

 

 そしてそれは、私の人間関係にも言えます。私の人間関係の濃度は、氷の解けきったカルピスより薄いです。だから自分の輪郭も他人の輪郭もよく見えていないのかもしれません。私が人間関係において何をしたいのか、相手が何を求めているのかが、よく分からないのです。

 その状態で手探りで人間関係を作っているため、私は人を傷つけるのでしょう。

 

 私はいつのまにか、人を嫌いになったり、怒りが湧いたりしなくなりました。昔は嫌いな人がいたし、怒ってもいました。今は全くそんなことがありません。怒りや嫌悪は不道徳だと考えられがちですが、怒ったり嫌いになったりするのは素晴らしい才能だと私は思います。それは人と真摯に向き合っていることだからです。

 相手について真剣に考えているから、裏切られたら怒りが湧くし、不躾なことをされたら嫌いになるのだと思います。怒りや嫌悪が湧かないということは、だれに対しても真剣に考えていないということなのかもしれません。誰に対しても、というのは自分も含まれています。私は自分にすら不誠実なのだと思います。

 私はネットでよく上がる16性格診断で期間をおいて違う設問で何度やってもINTP型になります。INTP型は考えることが好きだけれどその内容は現実的ではなくて、また常識や道徳も軽んじてしまうタイプです。それに加えて人付き合いに価値をあまり見いだせず、他者の気持ちが分からず、一人でいることを好むそうです。

 まあ全くその通りでびっくりしました。私は小さいころからずっと空想の世界で生きてきました。幼稚園で隅っこにあるブランコに乗って宇宙のヒーローになって一人でずっと遊んでいました。私は当時はやっていたドラゴンボールごっこには混ざれなかったし混ざらなくていいと思っていました。私にとって、孤独こそが幸福だったのです。

 でも性格はかわります。昔読んだ本に、人間の性格は器質と環境因子の二つがかけ合わさって作られるのだと書いてありました。だから私のこのINTP的な性格も、気質はそうであっても環境を変えれば、変わるのだと思います。私はちょっとだけ変わりたいと思っています。私は人が悲しいと悲しいです。だからきっとINTP的性格から変わろうとしているのだと思います。

 そのためにまず、人間関係を濃くしていく必要があると考えました。

 私はずっと人間関係が薄くてもいいと思ったけど、私は髪が薄くなるのが怖いと思えるようになったので、そのままいろいろなものを恐れるようになりたい。恐れたり怒ったり嫌ったり出来るようになりたいです。

 

 人間関係を濃くしたい。人間関係を濃厚こってり醤油とんこつニンニク増しにするのです。胃もたれすることもあるだろうけれど、それはそれで幸せな辛さかもしれない。

 でも嫌になったらなったでやめればいい。どっちでもいいけど、今はやってみたいと思うのです。失敗して傷つけてしまうこともあるから慎重にしていかないといけないけれど。

 

www.youtube.com