クリスマスは楽しい
クリスマスは楽しいです。なぜなら人の欲求が見れるからです。私は計画的に楽しむということが苦手で、例えばなにか記念日に向けて計画を立案したとして、その考えている段階はとても楽しいのですが、当日に最悪の気分になったり、考えが変わって行きたくなくなったりします。
そういうことは他人を傷つけると知っているのでなるべくしてはいけないと知っているし、よっぽど親密な相手でなければ無理やりテンションをあげることもしますが、本心では楽しい気分のときに楽しいことをしたいのです。
でも計画は好きなので、自分でも不思議です。
なんで世の中の人はちゃんと計画して、それを遂行できるのか、不思議です。
それでクリスマスはみんなが一生懸命計画した欲望が見れておもしろいし、勉強になります。
クリスマスのいいところは、メインストリームの人とそれを羨んでネタに走るという二つの立場があって、それを都合のいいように使える点だと思います。例えば、「お葬式でなぜか笑ってしまう」みたいな社会の適合度の低さとは違って、「クリスマスに一緒に過ごす人がいない」ってのはまだネタに出来るからいいですね。
「○○のライブにいった」
「二次元の嫁とケーキを食べた」
「サンタの格好してガリガリ君をカップルに配った」
ミャンマーには水かけ祭りがあります。ちょっとだけ縁のあった会社の同僚にミャンマー出身の人がいて、その話を聞きました。とりあえず誰彼かまわず水をぶっかけるらしいです。クレイジー。
日本はそういうお祭りって少ないじゃないですか。でも、日本におけるクリスマスとかハロウィンみたいなお祭りってそういう側面があると思うのですよ。日本人って言葉はあまり使いたくないですけれど、日本人はなにか面白いことがあったら、それに混ざるのと、それを批判したり揶揄したり逆手にとって楽しむ性質があるように思えます。だから自虐したり批判したりするのも含めてお祭りなのだと思います。
なんだろう、上手く言えないのですが、トマト投げ合ったりしてたらどっかから誰かが出てきて「食べ物で遊ぶのは不謹慎」っていって運動しだすんですよね。
でもそれも含めて日本人らしい関わり方なのだと思います。内罰的というか、自制的というか。
それはそれで思わないこともないのですが、でもそのように考えてしまう人間の心は面白いと思います。
それでクリスマスは、私にとっては「親がケンタッキー買ってくれてなにか欲しいもの買ってくれる日」でしかないので、それも中学生ぐらいからなくなったので、あまり気にならないのですが、世間的にはとってもフォーカスが当てられることなので、欲望とか願望とかが集まっていて、タイムライン見てるだけでも、とっても楽しいです。
私は常識や社会性がないので、人の思っていることや願っていることをなるべく知りたいと思っています。
お願いの短冊や絵馬を集めている人を知っていますが、なるほどと思いました。「記念だし、せっかくだから」って理由があれば、人は素直に願望を出します。絵馬や短冊は「せっかく」です。だから、素の願望が出ます。また匿名で発言できるというのも大きいでしょう。匿名性と正当性がないとなかなか願望を表明しにくいです。
他人の欲求や願望を知れるのは良いことです。私は人が望むことを、自分が渡せる範囲で、なるべく渡せたらいいと思います。でも、渡していいものと渡していけないものがあって、その線引きが難しいのでまだまだ学ぶことが多いです。
なんだかじわじわと読んでくれている方が増えていてうれしいです。こんな仕様もない文章でも需要があるなら幸いです。
あ、ハゲ検査の結果が来ました。
結果はなんと!
再検査だそうです。
うまく遺伝子取れなかったみたいなので、もっとちゃんとヤレと書いてありました。明日、やります。結果が来たら後日に報告します。