ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

アイドルがよくわからない

 美醜がよくわからないという記事を前に書いたのですが、それと繋がっている話です。 

 私はアイドルがよくわからないまま、今まで過ごしてきました。私が名前を言えるアイドルはツジノゾミとカゴアイです。漢字が分からないのでカタカナで書きました。

 あとその当時のモー娘。メンバーなら何人か言えるかもしれません。でも別にファンだったわけではなくて、まわりがモー娘。の話題をひたすらにするので、話を合わせるために覚えただけです。SMAPや嵐のような男性アイドルもそうですね。なんか、アイドルをはじめとするJPOPを聞いているのが、大人に見える時期ってありますよね。

 

 小学校高学年ぐらいですか。そのぐらいの思春期に飛び立とうとする直前の時期って、とりあえずJ-POPが頂点におしゃれなんですよね。それまではアニソンとかゲームソングばっかりだったのが、感度の高い女子あたりがうたばんとかMステとかを見だしてクラスに流行させるんですよ。

 思春期は大人社会に参画できる社会性を獲得する前段階なので、大きなメディアで流行っているモノがいいモノだと思えてくるのでしょう。

 私はクラスの状況やパワーバランスがよくわかっていませんでしたが、プライドだけは高かったので「お前知らないのかよ」と言われるのが嫌で覚えました。

 

 それで中学、高校と進級していくわけですが、そこでメインストリームに乗れ続けた人は、そのままJPOPが好きなままでいられます。スクールカーストから弾かれたりすると、アイデンティティを求めて彷徨って「周りの人が聞かない音楽」に辿り着きます。

 大抵は日本人アーティストでちょっとメインストリームじゃない人たちを知ってハマって、それから好きなアーティストたちのルーツを探っていくうちに、第一人者のような人にたどり着きます。だいたいが洋楽なので、しばらくは洋楽を好きになったりします。

 それで邦楽やアイドルソングを微妙に見下すのです。だいたい高校生ぐらいまではこんな感じだと思います。知り合いに音楽感度の高い人がいれば、またちょっと違うのでしょうが。

 

 それ以上の年齢になると資金と時間に自由がきくようになるので、そこで音楽が好きな人はジャンル専門のレコード屋に行くようになったり、ライブやイベントに積極的に参加するようになります。

 そうなると距離感の近い日本人アーティストにハマり直したり、好きなジャンルが固定されてきたりします。あるいは逆に、好きなジャンルを掘り過ぎて、オルタナディブ系に辿り着いて、例えばロック→ポストロック→エレクトロニカ→生音系エレクトロニカ→現代音楽みたいにジャンルをまたぎ出したりします。

 

 はい、私のことです。エレクトロニカを好きになった理由は、ちょっと違いますが。

 

 脱線しました。私はあまりアーティストの名前とかアルバム名とか覚えられないし、覚える気もないので、ずっと音楽が好きではないと思っていたのですが、人から言わせればけっこう音楽が好きらしいです。それと知識量の多さと好きの強さは無関係であるっていうのもここ数年で分かったので、今はたぶん「音楽好き」でいいのかもしれません。

 

 それで音楽が好きなので当然アイドルソングも聞くのですが、やっぱりアイドルがわからないのです。

 アイドルソングのクオリティが低いとか歌とダンスが下手とかそういうことじゃないんです。アイドルソングは一流のアーティストが作っているのでクオリティは高いですし、歌もダンスもすべて含めて「そういったデザイン」なのですから、コンセプトに合致していればいいのです。

 また音楽自体にビジュアルはいりませんが、エンターテイメント性を追求するならやはりビジュアルも大切です。ただ、客観的な美醜は関係なくて、たとえば素顔を見せないSiaのようなやり方でもよくて、観客の心を掴めばなんでもいいのです。

 

 その点で顔を前面に出して売り出せるアイドルのエンターテイメント性は高いといえますし、そのエンターテイメント性の高さは音楽の良さを否定しません。

 

 だからアイドルの音楽的な位置づけは別に否定してなくて、ただ私がよくわからないのはアイドルの好きになりかたです。

 

 うまく言えないのですが、「アイドル的に好きになる」ということがわからないのです。例えば、アイドルは恋愛がマイナス評価になります。

 ようするに恋愛感情を用いてアイドルの価値が保たれているということですが、その恋愛感情でアーティストを好きになるという感覚がまったく分からないのです。

 

 これは別にアイドルに限らず、福山雅治でも堀北真希でもいいのですが、いわゆるエンタメ的な活躍をしている人に人間的な感情を向ける感覚が全くないのです。

 

 ある好きなアーティストが結婚を報告したときに「ファンをやめる」という発言をする人がいて、そのアーティストはアイドル路線ではなかったのですが容姿が優れていたので、発言したファンはきっと恋愛感情を持っていたのでしょう。だからアイドルに限った事ではないのだと思います。ただアイドルは意図的に恋愛感情を利用しているので、わかりやすくアイドル的という言葉をつかいました。

 

 私にとって恋愛のような人間的感情と音楽やエンターテイメントは結びついてなくて、私の好きなアーティストが結婚しようと、罪を犯そうと、思想が合わなかろうと、どうでもいいのです。

 「坂本龍一反原発だから幻滅した」というコメントなんかは全く理解できないし、逆に「原発賛成だから坂本龍一が好きになった」というのもわからないのです。

 

 私の人生とアーティストの人生は全く交差しないだろうから、アーティストが何をしようとどうでもいいじゃないですか。死んだら新曲が聞けないので困りますが。

 

 しかしアイドル的にアーティストを好きになる人は、例えばその人に恋愛感情を持つし、趣味や誕生日や私生活を調べたりします。私も音楽的ルーツを知りたくて経歴を調べたりはしますが、私生活までは興味が持てません。

 

 美しいものにお金を払うのはわかります。ただ人間的な感情まで払えるのは、なぜなのでしょうか。

 

 でも世の中では、それが商売としてきっちり成り立っているのだから、私の頭がおかしいのでしょう。

 

 共感能力や投影能力が低いのかもしれません。

 

 眼差していて、眼差されている。

 

 こういう感覚を大事にできる人は共感能力や投影力があって、社会性もあるのでしょう。

 

 私はあまり「誰かに見られていたい」という感覚がないし、「見ていたい」という感覚がないです。

 いや、ないわけではないのでしょう。きっと、隠してしまったのか殺してしまったのか。自覚が出来ません。だからきっと、無意識に歪んだ形で表に出ているのでしょう。

 

 私はアイドルを好きになりたいし、タレントが結婚したら悲しんだりしたいです。

 

 欲求をより社会に合わせた形に矯正したいです。ようするに普通な感じになりたい。

 

 最近、こんなことばかり書いてるな。