チーズぶっかけときゃいい
先日、話している相手の鼻毛が出ていたら指摘するか否か、という話をした。鼻毛は対面したときに否応がなく目につく場所にあるが、本人では絶対に気付けないという絶妙な位置取りをしている。
これはなかなか面白いジレンマを抱えていて、指摘しなければ相手は気付かないため、自覚して「気付いてたならいってよ!」と非難されることがないかわりに、指摘がなければ別れるまで鼻毛と付き合わなければならない。
鼻毛の乱れに耐えて和を保つか、和を乱して鼻毛の乱れを正すか。難しい問題である。
ちなみに私は指摘をしない。鼻毛が出てても大して気にならないからだ。たかが数ミリのことで、顔の面積比率から鑑みてもそれほど重要度の高い要素には思えない。鼻毛一本を指摘するなら、道理として「鼻が高いね」「目は丸いね」「唇はがさがさだね」と言って回らなければならないだろう。小さな欠点をわざわざあげつらうとは、まるで障子の枠を指でなぞって「掃除がなってない」と嫁いびりをする姑のようだ。
とはいいつつ、自分の鼻毛はせっせと鼻毛カッターで切っているので矛盾しているけど。まあエチケット違反っぽいからやっている。他人に余計なジレンマを与えるのはよくないだろう。
いちおう全く指摘しないってわけじゃなくて、ある程度の親密さがあれば指摘をする。具体的にいえば、「この人のまえで恥をかいても平気だ」と思える相手だ。相手もそうであってほしいというのは傲慢ではあるが、勝手にそこを基準としている。ようするに、心の距離感と鼻毛の長さは比例しているわけだ。
うん、適当なことをいった。
鼻毛が伸びてるのがエチケット違反だとして、それを指摘するのもなんだかエチケット違反な気がしている。気付かずにその場が終われば誰も傷つかないのでいいじゃないか。
こういうのは、ようするにさじ加減なんだろう。
大皿料理が着たときに「なんかこれ味薄いな」と思ったとしても、「これ味薄いねー」と言い出せるかどうか、あまつさえ「薄いから醤油かけるね」と言えるかどうかということだ。
ちなみに父は黙って容赦なく醤油をかける。私にとっては父がエチケットのない人の一つの基準だったりするが、靴とスーツと髪はいつも完璧にビシッとしているので、全てにおいてエチケットのない人は、そうそういないのだと思う。結局は個々人のさじ加減で、「私にとってはマナー違反だ」を擦り合わせあっている。
私は、そういう機微のようなものを読み取れないので、地雷原をパーティーロックアンセムしながら歩いているようなものだ。
今日の夕飯は作ってみたら味が薄かったので、「チーズぶっかけとけばなんとかなるだろ」とチーズを大量に入れて食べた。おいしかった。
元来がこういう人間であることを、ゆめゆめ心に刻んで生きていきたいと思う。