ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

愛玩ってなんだろう。

 せっかくはてなブログ始めたのでSNSの話題に言及するっていう、それっぽいこともしておこうかなと思います。私は形から入る中身スカスカ人間なので、すぐにそれっぽいことをするのが大好きです。

 最近ついったーで猫の写真をアップロードするのは気持ち悪いという人がいて、世の中にはいろいろと考えている人がいるんだなーと思いました。そもそも私のタイムラインに猫画像をアップする人がいないので、ついったーで猫画像をあげるって行為が存在することすら知らなかった。そもそもも、そもそも私はあんまりついったーみてなかった。そももも。

 このツイートした人は、自分の欲求をネットでストレートに表現する行為のうらで配慮されない存在にたいして言及していて、そういう配慮のなさの地平を広げてくと児童虐待や性差別につながるってことをおっしゃっているのだと思います。

 猫写真を撮ることから、その帰納のしかたはちょっと乱暴な気もしましたが、なんとなく理解は出来ます。最近、自分の子供に煙草を吸わせて逮捕された人がいますが、そういった自分の承認欲求が最優先で子供に配慮しない姿勢と、ネットで猫を晒す姿勢に光を当てれば同じ影が映るでしょう。それらの「欲求に忠実な姿勢」に違いはありません。

 でも私は、そういった姿勢が悪いとは思いません。自分の欲求に忠実であるのって何が悪いかわからないです。欲求は生命のシンプルなありようですから、それはどうしたって否定できるもじゃないです。

 欲求に忠実であることが間違っているのは、欲求を満たす行為が他者を傷つけている場合です。だから他者を傷つけない範囲でなら、自分の欲求はいくらでも出してもいいのです。もちろん現実的にそんなことはありえないので欲求を制御することは必要ですし、自分の欲求が他人を強制的に傷つけていないかを常に自戒する必要はありますけれど。また欲求を制御するってけっこう魅力的なことなんですが、これはまた別の機会に書きます。

 話を戻します。猫の画像がネットに晒されて誰が傷つくのでしょうか。猫は写真を撮った後にめざしでもらって幸せだったもしれません。ネットで晒されたことなんて、我関せずでしょう。猫は孤高の存在なので人間如きの些細な雑事に惑わされたりはしません。それでネットに上げる人も承認欲求が満たされて幸せ。猫好きもいろんな猫が見れて幸せ。winwinでいいんじゃないでしょうか。困るのはサーバーが圧迫されるツイッター社ぐらいでしょう。まあ猫の幸せって何か分からないので、猫だけwinじゃないかもしれないですけど、少なくとも無理やり押さえつけて撮られたでもない限りは害ではないでしょう。あとは猫嫌いな人には害かな。でも強制されない範囲での不快はお互い様だからミュートして自衛するしかないです。誰もが誰も、ちょっとずつ誰かを不快にしながら生きています。

 

 全く関係ないですけど、たまに写真を撮られるのに凄い興味を示す猫っていますよね。たいていの猫ってレンズを向けるとそっぽ向いちゃうんですけど、本当にたまにじーっとレンズ見る猫がいるんです。じーっと見るってことは警戒してるんだと思うんですけど、でも別な猫を撮ろうと向きを変えたのにソロソロとこっちに来たりして、なんだこいつかわいいぞーっていう猫がね、いるんですよ。かなり少ないんですけど。比較的野良に多いかな。猫カフェの猫は、撮られ疲れてるのでカメラのレンズなんて見向きもしません。撮られ慣れてないか、撮られると餌を貰えた経験とかでカメラに興味をしめすのだろうか。

 閑話休題

 

 きっと件のツイートした人は、猫画像を上げている人って、ネットに猫の写真を晒すことについて、きちんと考えないで安易にアップロードしているという前提で話しているんだと思うんです。だから煙草を吸わせた児童虐待の大人と一緒だという結論になるのでしょう。

 

 確かにそういう人がいるかもしれないですけど、そうじゃない人もたくさんいると思います。いるって根拠はないですけど、いないって根拠もないのでどちらにしても憶測でしかないです。そのうえで私は、人間ってそこまで単純じゃないと考えます。猫写真を撮ってネットにアップロードする行為が、他者を傷つけない範囲での承認欲求の慰めだって、ちゃんと直観も含めてわかっている人は結構いると思うんです。

 それでそういった承認欲求の慰めが必要な人っていると思うんです。そりゃあ、その場しのぎの安易な慰めかもしれないけれど、その安易なものが辛い日々の中で安らぎになっている人もきっといる。それは生きるための応急措置です。

 自分を慰めるために他の存在を利用するってすごく傲慢だけど、でも傲慢じゃない人っているのか分からない。誰だって自分を慰めるために他の存在を利用するんじゃないだろうか。ただその利用する存在に害を与えないように慮れる人とそうじゃない人がいるだけじゃないか。そして猫の写真をアップロードする人が、考えられない人だと決めつけるのは乱暴な気がする。だって実際に猫に害はないのだから。なんだか自撮りを晒す人すべてが歪んだ承認欲求を持っていると決めつけることに似ている。ひとりひとりに事情や思惑があって、それなのに、いっしょくたされて「気持ち悪い」と言われたら、ショックだし悲しい気持ちになると思うのです。

 

 私は表層的な行動を掘り下げて、その根底に悪性があると考えたくないです。そこまで深く人間を理解できていると思わないし、その安易な結論が人を傷つける可能性があるからです。

 でもなんか、そういう穿った考えがひらめいたときって思わず語りたくなってしまうし、そういうことをいろんな人に知ってもらいたいって承認欲求は抗いがたい魅力があるのも分かります。

 私はブログ書き始めたので、たぶんそういうことするんだろうなーってちょっと怖いですけれど、でも私のようなゴミクズの文章が誰かの心を痛めつけることなんてないだろうから杞憂ですね。とはいっても、どんなになまくらで錆びついた包丁でも誰かを傷つける可能性はあるので、出来るだけ注意して書いていきたいです。