ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

創作することと、それを楽しむことについて

 デザフェス行ってきたんでブログ書きます。昨日、画像ブログにするって言ってたけど、長文も書きたくなったのでとりあえず文章を書きます。

 

 追記:でも書いてみたらあんまりデザフェスのこと書いてなくて我ながら笑ってしまった。削る気もしないのでこのまま公開します。なのでデザフェスのことを知りたい人は読まなくていいかも。

 

 ちなみに一日目は特に書くこともないというか。殆どいないまま次のイベントに行ってしまったので今日からのことをかきます。

 

 今日は早起きできたので、朝のうちは寝具を洗濯しながらブログをかきました。ブログを書き終え、寝具も干したらやることがなくなりました。時刻は9時だったので、まだデザフェスに行くには早い時間です。

 

 仕方ないので暇つぶしに、一人ダンス・カラオケ大会を始めました。私は暇になるとすぐ歌って踊ります。私の家は音を起てても大丈夫な作りになっているので、気兼ねもいりません。

 それでテンション上がりまくって歌い踊り狂っていたら、4時間ぐらいワープしていました。時刻は13時。慌てて向かう準備をします。思えばこの時点でフラグに気付くべきでした。

 私には特性があって、その特性は饒舌になったり行動的になったりするときに現れるのですが、そういうフラグにすら気付けなくなってしまう特性なので困ります。

 

 電車内で昨日のイベントで購入した田房永子さんの「男しか行けない場所に女が行ってきました」 を読んでいました。とても面白いのでスイスイ読み進めていたら、いつの間にか国際展示場前でした。静かに続くエスカレータに乗りながら、私は祝祭前の厳かな儀式に立ち会っている気分なっていました。私はふと、チケットはあるかなと思いつき、カバンを探りました。案の定、チケットはありません。でも大丈夫。このようなことはよくあるのです。私は別段動揺もせず、会場で買えばいい、そう思いました。しかしカバンを探った時に財布らしきものはなかった。慌ててセルフボディチェックをします。身に着けてない。エスカレーターを降り、落ち着ける場所を探してカバンを念入りに探りました。やはり、ない。

 チケットどころか財布すら忘れた私のダメさに心が折れつつも、ネタっぽいしツイートしとくかと変な慰めをしていました。

 

 テンションは下がり気味でしたが、ダブル忘れ物ぐらいはよくあることだし、むしろチケットだけあって財布ないほうが会場でどうしようもないし、まだマシじゃん。あと二往復分、田房さんの本読めるし。私はわりと前向きです。

 

 家に戻って財布とチケット、そして本が読み終わりそうなので代わりの本を入れて電車に乗りました。確かにチケットは入れました。(分かりやすい伏線。伏せてないので主線?)

 

 戻りの電車でも田房さんの本を読みました。面白すぎて読み終わってしまった。こんなに一気に読み終わることって珍しいので自分でもびっくりしました。感想かきたいかも。

 代わりの本は適当に突っ込んだんですけれど、重くて悲劇的な小説だったのでテンションが下がりました。でも面白いので読んでしまった。

 携帯の電池も切れていて、下がったテンションをあげるための音楽も聴けません。テンションが低いままビックサイトに向かいました。着いたのは16時30分。

 まずゲームマーケットに向かいます。東です。残り時間30分でした。なんとなくピンときたゲームを三つほど説明してもらったのですが、どれも合わずに購入しないで時間終了。何も買えなかった悲しみが私を襲います。

 

 そして翻して西に向かい、デザフェスにいきます。入場口につき、チケットをカバンから取り出そうとしましたが見つかりません。ちょっとパニックになった。結局、探しても出て来なかったので買うことにしました。この時点ですでに疲れ果ててます。いやもう帰ってもよかったんですが、一日目にワークショップに参加していて、その完成物を受け取りに行かなければならなかったのです。

 

 失敗続きで、失敗に強い私も流石に心が疲れてました。会場に入っても創作物が目に入らず、なんだかぼんやりと人の行き来をみていました。デザフェスって初日も思ったんですけど、歩いてる人も特徴的なんです。普通の格好も多いんですけれど、被り物とかコスプレみたいな人もけっこう歩いてて面白い。あと普通の格好の人でもリズリサみたいなちょっと装飾の多めの服を着ている人が多い印象ですね。雑貨とか小物が好きなのとリズリサみたいな服が好きなのは需要またいでるのかな。人多すぎなのもありますが、どんな格好でも”浮いてない”雰囲気があって、そういうのは素敵ですね。通行人もアーティストです。

 ライブステージの脇で、音楽に合わせて創作ダンス(音楽にノル感じじゃなく)とかしてる人がいたり、そもそもライブステージに乱入して一緒に歌ってたり。なんというか自分は肯定されてる感が凄い充満している。それが許される場所、みたいになってますね。デザフェス。私はそういうの大好きです。

 

 とりあえず、会場内でビールが売ってたので買って飲みました。私は一人のときや人に会う予定がないときは、気付けみたいな感じであっさりアルコールを飲みます。小さいころ、どこの観光地に行ってもとりあえずビールを飲んでる父をみて、大人というものはそういうものだと思ってたんですが意外にそうでもなくて、でも私はとりあえずアルコールになってしまったので家族の業はあらがえないものです。

 

 とりあえず、昨日クラフトワークしたチャームを受け取りに行きました。ずいぶん遅い時間に寄ったので「心配してましたー」と言われました。心労をかけて申し訳ないです。

 

 写真を撮りつつ、なにか良い作品がないかとウロつきましたが、心が疲弊してるときって駄目ですね。何を見てもよいと思えない。心が動かない。心が動きそうになっても、私とは関係ないしみたいな思考が覆いかぶさってきて、その思考が感動の震源地から私を遠ざけていきます。

 なんだかどうでも良くなって、そういえばライブやってたなと思ってそっちにぶらっと行きました。ライブ聴きながらビール飲んで帰ろうと思いました。

 

 ライブはパンクっぽいバンドが出てました。スリーピースなんですけどみんな白人で、スキンヘッドのギタリスト、ピンク色のモヒカンをしたベーシスト、あんまり目立たないドラムの三人が、蛍光色の交通整理の制服みたいなのを来てステージに立ってました。

 

 ギャーギャーしたギターと乱暴なドラムをバックに、セックスピストルズジョニー・ロットンみたいなボーカルが曲の合間に「ファック」を連呼してました。今調べたらジャンルはアバンギャルドジャズらしい。なんだそれは。曲のジャンル分けはわからないです。

 私は音楽偏差値が低いので、大体どんな曲でも楽しんで聞けます。なのでパンクロックも抵抗なく楽しめるのでよかったと思いつつ、ビールを買って遠巻きに聞いていました。

 アートフェスとはいってもメインはやはり絵や立体物のアートであることと、時間帯もすでに肌寒いを通り越して夜になっていましたので、ライブの客はまばらでした。そんな空間が、私はなんだかとても居心地が良くて、あー私はここが似合ってるなーと思いました。

 客を眺めていたら4歳ぐらいの女の子が、獣のうなり声みたいなドラムに合わせて、大暴れしていて「おおこの子は素質があるぞ」と思わずテンションが上がってしまいました。バンギャPならスカウトしたい。バンギャPっているのか。

 その姿を見ていたら私もすっかり元気になってしまって、ステージ近くに行って爆音を聞きながら軽く踊りました。荷物が重いので派手に動くのはやめておきました。そうしたら客のうち二人組がステージに上がって、マイクに向かって叫びだしました。あとファックサインしたり。寝っ転がったり。ベースの人にちょっかいだして肩を組んだり。演奏している方も別にいいやみたいな感じで受け入れてて、そのうち抱き合ってキスとかしてた。そういうライブってたまにあります。

 

 そういう光景を見てたら、なんか徐々に元気になってきて、「よし、他の展示も見て回ろう」と思う気力が出てきました。

 戻ってみるとそこは、来たときのような色あせた空間ではなく、色とりどりにきらめいた空間になっていました。小さいころの宝物がガラクタに見えることってありますが、それと全く逆のことがほんの数十分音楽を聴いただけで起こる私の気分屋っぷりが恐ろしい。

 うって変わった世界で、興味深く楽しみながらブースを歩いていましたが、しかし「欲しい!」と思えるものが見当たりません。

 なぜだろうか。作品は素敵なものがたくさんあるのに、いざ買うとなるとしり込みしてしまいます。

 

「そんな素敵なものは私にふさわしくない」

「せっかく素敵なものを大切に出来なさそうで申し訳ない」

 

という気持ちがあります。

 

 この会場に来て、わたしが買ったものはアルコール。楽しいと思ったのはライブ。どちらも楽しんだら消えてしまうものです。私はそういうものが好きなのでしょう。残るものにお金を使うのは苦手です。残ったものが変わったり損なわれることが怖いです。それは物理的なことでもあるし、精神的なことでもあります。私は自分をすぐ否定するので、芸術物を買ってもそのあと心変わりします。私は冷静になって、「なぜこんなものを買ってしまったのか」と考えてしまう自分が怖いのです。

 

 けれど、最近行った個展で買った絵は大切にしています。個展に行って絵に感動して、本当は大きな絵を買おうと思ったけれど、なんだか自分には大切にできそうになくて、おっかなびっくりに小さいサイズのを買った。でもそれは今でも大切に眺めていて、あの時に見たほかの絵のことも思い出されて、なんともふんわりした気持ちになる。

 だから最近は少しは自分が欲しいものが分かるようになったのかもしれない。それに会場にある素晴らしい作品たちは、私が買わなくたって素晴らしさは変わらないので、私が一生懸命に買う買わないで悩むこともない。

 でも少し悩むこともあって、興味をもって少し話した後に買わないってのがまだ心苦しい。服屋の店員などのプロの人ならば平気で断れるのだけれど、デザフェスの人はプロでない人もいるし、創作をするってことはやはり作品を通して承認を求めている人もいるだろうし、そういう人と少し話して買わないって選択肢を突きつけるのはあっさりできない。

 でも今日は、話しながらじっくり考えて、やっぱり買うのはやめようと判断したら、その声に従った。

 

 傷つけてしまったかもしれないけれど、中途半端な思いで買うと私が傷つく。お金も精神も減る。相手には大切に扱ってないことは伝わらないだろうし、お金になった事実は大きいので買っても相手は傷つかないだろうけど。出来れば作った側もやはり大切にしてほしいだろうし、作品も大切にしてくれる人のところに行った方がいいだろう。義理で買うというのは、作った人や作品に失礼だ。私はとりあえず、なんとなく義理で買うのはやめようと思う。

 

 それでいろいろ探していて、私が欲しいと思えるものはなくて、それならば発想を変えて「誰かにプレゼントをしてみる」ということで探してみた。

 するとあれもこれもが欲しいものに思えて不思議だった。自己肯定感が歪だからだろうか。これを私が買って嬉しいか、と考えると途端にブレーキがかかるのだけれど、これを買ったらあの人は喜ぶだろうか、と考えると浮足立ってしまう。あるいは相手に対する理解の低さからか。このプレゼントなら笑って喜んでくれる人間だって安易に判断してるのだろうか。私のようにウジウジと思い悩んだりしないよなという期待なのだろうか。

 ですます調になってないのに気付いたけれど、それだけ勢いで書いてるし本音なのかもしれないのでそのまま書く。

 

 プレゼントは難しい。とくにアートみたいなのは。基本的にそういうプレゼントはしてはいけないと思う。なぜならアートを渡すのは自己表現的な部分があるからだ。私のセンスどう?って相手に聞くことだ。プレゼントされた側はそれに付き合わされることになる。また身に着けるものなどは特に難しい。貰ったらそれをなくさないように大事にして、いざ会う時には着けなければ、などと気を使うことになる。ファッションもそれに合わせて制限される。

 小説や漫画、音楽も、よっぽどその話題で盛り上がったとき以外はやめた方がいい。相手に聞いたり読んだりするコストを背負わせるからだ。

 

 もちろん、アートや身につけるもののプレゼントが悪いわけではない。ちゃんと否定しても平気な関係性ならいいと思う。もらっても「いやこれはダサいから無理だよ」って言えるような間柄ならいいと思う。私はそう思える相手がいたので、アートやアクセサリーを買うことにした。そうじゃない相手の場合は、消費するコストと感想を貰うコストが低いプレゼントがいいと思う。適当に「使ったよー」とか「食べたよーおいしかったー」ぐらいで済むような軽いものがいい。

 

 それで私はもう完全にプレゼントを買うモードで探した。その相手にはセンス悪いと言われてもいいし、捨てられてもよかったので、その人に似あうと私が思う一番いいアクセサリーを探した。

 

 つまみ細工のブースがあって、そこに強く惹かれた。これはあの人に似合いそうだ。

 ぼーっとつまみ細工を見ていると店員の男性が、「俳優さんですか」と話しかけてきた。おお、そういう営業の仕方もあるのか、と感心しつつ「いえ違います」と答えた。「デザフェスは俳優みたいな特殊な職業の人も来るのでそういう人だと思いました」とか言われて、私は「調子いいこと言いやがって」と思いつつ、でも「いい人だなー」と普通に懐柔されていた。女性に容姿を褒められると、「私ごときに気を使わせてしまって申し訳ありません」とすごく心苦しくなるし緊張するのですが、同性だと普通に受け入れられる。それで、すっかり気に入ってしまって話し込んでしまった。

 なんでもドレス生地を使っているらしく、その生地でつまみ細工を作るのは難しいそうだ。作れるのは私だけだと自負していた。

 私は落ち着いたデザインと色のものをいくつかを選び、さらに太いクリップか、小さいクリップか、かんざしが良いかと悩んだ。ブースには女性の方もいたので、女性的にはどれが使い出がいいですかと聞くと、少し悩んだ後になぜかさっきの男性に「どれがいいですか」と聞き出したので、私は女性の意見を聞きたかったから少し戸惑ったけれど、3人で話し合って総括的に小さいクリップがいろいろ使えて良いとの結論になったのでそれを買った。

 

 目的を果たしたのでブラブラすることにした。ふとツイッターで最近、相互フォローした人が出展していることを思い出し、その人の作品を見ようと思って向かおうとしたがスマフォの電池が切れていたので具体的な場所が分からず諦めた。計画性がほしい。

 

 ぶらぶらしていると、工作機械を動かしているブースを見つけた。パッと見3dプリンタに見えたが、よく見るとそうではない。気になったのでそこに居た人に話を聞いた。どうやら平面を切り取る機械と、プラスチックに印刷できる機械らしい。ローランド製だったのでびっくりした。シンセサイザーを作ってるだけの会社じゃないんだな。まあヤマハなんかもいろいろやってるし、楽器って技術の最先端だから当たり前か。ITが最先端の技術とか言われるけれど、実際は最新のシーケンスなだけであって最先端ではない。シーケンスはずっとあって、それは音楽だったり料理だったりする。だから音楽や料理は何百年も前からずっと最先端だ。それらの要素とITの要素って結構似通ってるところがある。良いプログラマーは良い音楽家であり良い料理家だって言っていたのは誰だっけ。

 

 知識欲が満たされた私はご機嫌にブースを歩いた。途中途中で、ハッと息をのむようなライブペインティングをみて足を止め写真を撮った。

 

 透明標本のブースを見つけた。それ自体は知っていたけれど、実物を見るのは初めてだ。思った以上に心をひかれた。アオガエルの標本がとても欲しくなったけれどグッとこらえた。生っぽすぎて私にはうまく扱えないだろう。

 

 そのあと、電子工作のブースを見つけた。Arduinoみたいなマイコンブームの中で、一から回路を組んで電子おもちゃを作っているそうだ。デザインも洗礼されていて、触っているだけで楽しい感じがした。ただトグルスイッチをパチパチするだけのおもちゃもあって、それがとっても欲しくなった。でもそれ以外にも面白いのがたくさんあって私は迷ってしまった。その時に丁度、終わりの時間が来てしまった。一個がそれなりの値段がするものだった。映画なら二本ぐらいは余裕で見られる値段だ。迷いなく全部買えるほど、私の収入は多くない。

 私は悩んだが、撤収の時間で迷惑を掛けるのも申し訳ないと思い、その場を後にした。通販もしているそうなので、あとでじっくり選ぼうと思う。

 

 デザフェスで心をひかれたのは、vvvvというビジュアルプログラミング、工作機械、標本、電子工作といった感じだった。こういうのは小さいころから好きだったので三つ子の魂100までは事実だと思う。もちろん、それ以外の創作も素晴らしいの多かったが、テンション上がりすぎて周りが見えないぐらいになったのはそれらだ。

 

 ゲームマーケットは悔しい想いをしたので、次からはちゃんとブースの目星をつけたり、時間に余裕を持ってこようと思った。

 デザフェスは初めてだったし、いろいろとハプニングもあったが、トータル的には楽しかった。創作について、する側と受け取る側の有り様について考える機会にもなってよかった。

 

 こんなところで終わりにします。写真は後日まとめます。