ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

鍋底にほっこり

 記事を書いたんだけどくらーくなってきちゃったので消した。テヘペロ。でも、消してよかったと思ってる。

 暗い気持ちというのは書ききってしまうと、体外に毒を吐き出しきったような感覚になってスッキリしてしまうことがある。そうすることで、精神のバランスを保ったり、気持ちを整理することも出来る。私はそのために文章を書いているところがある。あるけれど、何でもかんでも吐き出してスッキリしちゃえばいいとも思っていない。文章にするというのはやはり嘘が含まれる。文にすることで現実から一マイルほど離れる気がする。いやキョリは適当に言ったんだけど。人によっては現実からきっと月まで、宇宙の果てまでも乖離した言葉を紡げるだろう。私はそこまでの力はないから、現実に見えるけれど歪んだ世界でこの文を書いている。だからまだ生のまま持っていたい想いは慎重に持ち続けるということも必要だと思う。スッキリすることよりも抱え込んで熟成させた方がよい想いもある。

 

 気持ちは常に暗いけれど、加えて今は考えなければならないことが立て続けに起こっているので、心はてんやわんやだ。

 こういうときは料理をするに限る。いや限らないけれど、限るっていうと語感がいいので使いました。母はよく料理をするのはストレス発散になると言っていたけれど、この歳になってようやくその意味が分かった。うまくは言えないのだけれど、料理はとても脳の刺激になるので強いエンターテイメント性があるのと、成果物が生命に直結しているってのが癒しの理由なのだと思う。

 料理は五感を全て使って作る。だから脳がそれで手一杯になって、余計なことを考えられなくて済む。まーそれは、私の料理技術が低いからでもあるんだけどね。

 料理になれている人なら飾り切りをしながら、年末の旅行の計画を立てれる人とかいるんだろうな。私は乱切りするのでも四苦八苦するよ。

 今日は筑前煮を作った。筑前煮と言っても糖質を減らす為に根菜を抜いて、こんにゃくと肉と椎茸しか入れなかったので、鶏煮と呼んだ方がいい気がする。根菜を入れなかったため思ったよりも水が出なくて味が変になってしまったが、私が食べるだけなので構わない。私はあまり味の善し悪しにこだわらない。

 クツクツなっている鍋をボンヤリ眺めていると心が落ち着く。落としぶたをちょっと開けると椎茸と醤油の合わさった香りが、フワッと広がってなんとも夢心地だ。しばらく煮たあと、お弁当箱に詰めた。

 そのあとに卵をゆでる。私は板東英二の生まれ変わりなので一日3個以上はゆで卵をたべる。おやつ代わりなの。だから定期的にごっそりゆでている。そんなに茹でているのに、不器用だから沸騰した鍋に卵を落とすときに、たまにヒビを入れてしまう。

 

 でも大丈夫、ヒビが入ったってちゃんと食べられるゆで卵になる。傷ついてもヒビが入っても、完全に割れなければなんとでもなる。

 

 ヒビの入ったゆで卵は最初に食べてしまう。ゆでたての卵はほっこりした美味しさに、私は思わず笑みが零れる。鍋底にあったひび割れた卵は、きっと希望の固まりなのだろう。