この漫画にたいして、「他人に批判されて嫌いになるのは本当に好きではない」みたいなコメントがついてて、いやいやそんなことないでしょーと思ったのでこれを書いています。
他人に批判されて好きなものが変わることと、好きの度合いってあんまり関係ないです。
単純に自尊感情の話なんですよね。自分の決断が正しいって思えるのは、自尊感情が強いってだけです。
それで自尊感情と好きの熱量ってあんまり関係ないんですよ。自尊感情が低いと自分が好きだっていう判断に自信が持てないってだけで、好きという感情自体は損なわれません。
だから、他人の批判で好きなものが嫌いになった原因は、好きの熱量が低かったってことじゃなくて、自尊感情が低かったってことなんです。
その問題の切り分けはちゃんとしたほうがいいです。自分の好きが足りなかったから、という内省的な話じゃないんです。原因は自尊意識の低さなので、その問題に取り組んだ方が建設的です。
そういう事情を無視して、「好きの度合いが足りないお前が悪い」みたいな考えを押し付けるのはよくないし、その意見を真に受ける必要もないよなーって思います。
好きなものは好きな時点で完成されています。その正当性を証明する必要ってないんですよ。ただ他人に迷惑かけてないかな?って観点でだけ自省があればいいです。
それで漫画の話に戻りますが、批判した友人は感動している主人公を「その程度で感動するの?」ってマウンティングしたかったのかも知れないし、あるいは楽しみにしてたのに裏切られたという負の感情を共有したかったのかも知れません。
どちらにしても、主人公にたいして甘えたいという感情は見てとれます。そして甘えたいという感情は基本的に信頼している相手にしかできません。
この相手には裏切られないだろうという信頼が産み出す甘えた思考による言動です。それは仕方のないことです。命は常に甘える対象を求めています。私はその甘えたい感情も肯定したいです。
私は私を信頼して甘えてくれる人を肯定したいです。
もちろん、出来る範囲でではありますが、その範囲を拡張していくことが成長なんじゃないかとぼんやりと思っています。
なんて考えるから、自他の区別が着いてないとか言われるのかも知れませんね。
そして、甘えられるほうにも限界があります。私は、これ以上甘えられたら無理だな、と思ったら距離を置きます。
甘えに答えてくれる相手にたいして限界まで甘えるといった焼き畑みたいなやり方は、甘える方にも甘えられるほうにも無理を強いるので、今自分がどれだけ甘えてるかを自覚できるようになるといいなーなんて思います。