ヒューズ・高感。リレキ

ヒューズは適度に取り換えましょう。

大人でもウンコをもらします

 小さいころ、私はおねしょがなかなかな治らなくて、惨めな思いをしていた。それと、お腹も弱かったのでよくウンコも漏らしていた。

 

 大人はおねしょをしないので「なんてすごいのだろう」と感心していた。ドラゴンボール孫悟空ほどじゃないけれど、ヤムチャぐらいにはすごいんだろうと信じていた。

 その反面、納得いかなこともあって、そんなにすごい大人なのに、なんで世の中の問題を解決できないのだろうということだった。

 私が好んで読んだ児童書や漫画は少年少女が主人公で、次々に起こる問題を自分たちで解決していた。それは子供当事者である私に力を与えたけれど、同時に大人の不在という違和感も与えた。

 

 大人は凄いのだから、大人が解決すればいいのに。

 

 少年漫画の主人公は父親も母親もいなくて、海外で働いていたり、死んでいたり、実は生きていたり、しかも魔族だったりする。

 なんにせよ、物語的には分離されていて、ある種の象徴のように描かれ、イベントには参加するけれど、こどもと一緒になって物語の当事者になったりはしない。

 

 それは、こどもの世界と大人の世界は、別に構築されていて、こどもの世界の問題はこども達自身が解決しないといけないし、おとなの世界の問題はおとなが解決しないといけないのだという感覚を私に与えた。だから、こどもの世界で辛いことはおとなは解決出来なくて、じぶんでなんとかするしかないのだと思った。

 

 私はいつかこどもの世界を卒業し、大人の世界の仲間入りをするのだろう。なんとなく、ぼんやりとそんな未来像を描いていた。でも、実際はそうじゃなかった。

 

 子供の私。あなたに伝えたいことがある。

 

 信じられないかもしれないけれど、大人だってウンコをもらすんだ。恥ずかしいし、みっともないと思うだろうけれど、あなたが想像していたような完璧に凄くて、でも絶対にこちら側には来てくれない、そんな大人はいない。ただ、人に迷惑を掛けないようなウンコだったり、人の役に立つウンコが出せる技術が身につくだけだ。

 こどもとおとなは、隔絶されてなんかいなくて、私たちは同じ月の下でぐるぐると下手くそなフェッテをし続けている。円形だったり半円だったりするアレの、ふわっとキリキリする感覚質をずっと握りしめて生きている。

 

 あなたは今、自分の感覚や考えや状況を疑っている。それが大人になったら全部変わってしまうと思っている。でも大丈夫。最悪にも最高に、そんなことはない。

 

 あなたの世界はいろんな色を見せるけれど、けっきょくそれは同じあなたの世界だ。

 いつか、どこかで隔絶されて変わってしまうものではない。遠くに行っているような気がするときもあるけれど、ちゃんと戻ってくる。だから、今持ってる感覚や考えや状況をしっかりとつかみ取って頑張ってウンコをもらし続けていくといい。その過程で、徐々に人に迷惑を掛けないウンコや役に立つウンコのことについて考えていけばいい。

 

 朝、おならだと思って油断してたら、想定外の事態が発生したため、お風呂場でパンツを洗いながら思う。